ヘッドフォンの3Dオーディオ、テレビのステレオスピーカー、広大なアトモス7.1.4システムなど、ゲームはさまざまな音声出力があり、すべてのセットアップにおいて優れた聴覚体験を提供する必要があります。しかし出力形態の多様性ゆえ、一貫性のある高品質のオーディオを常に届けることは難しい課題です。
AudiokineticとSIE(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)が数年前に発表したプラグインMastering Suiteは、無償で利用でき機能も充実しているため、多くのゲームに採用されてきました。Mastering SuiteはファイナルアウトプットのためのEQ、マルチバンドコンプレッサー、ボリューム調整、リミッタなどをデベロッパに提供し、ハードウェアアクセラレーションが行われ、すべての3Dオーディオプロセッシングの後に適用されるPS5ゲームにおいては特に有効です。
ゲームオーディオを適切にミキシングし、さまざまな音声出力を考慮した後にゲームで予想外の現象が発生した場合を中心に、ピークリミッタを適用するためだけにMastering Suiteを利用することが理想的です。ところが実際にはヘッドフォンの種類の多さ、開発中に使ったミキシングルーム同士の違い、複数のデバイスでミキシング中にテストできない不便さなど、音響環境の多様性に起因する課題がしばし発生します。
このため、マスタリングはプロジェクトの仕上げ段階で不可欠なものとなり、矛盾や問題点がポストミキシングで修正されます。
この2回シリーズを通して、ゲームのマスタリングの考え方や、状況に応じたプリセットの設定方法について解説します。
ゲームにおけるオーディオマスタリングの考え方
ターゲットラウドネス
マスタリングの作業は自分のタイトルをあらかじめ定義されたターゲットラウドネスに合わせ、不要なディストーションなしで確実に対応させることからはじまります。
ラウドネス仕様は対象プラットフォームの種類(コンソール、PC、モバイル)と、あなた自身の判断で決まります。一貫したゲームエクスペリエンスを確実にプレイヤーに届けるため、プラットフォームのコンテンツ配信基準に沿うことをおすすめします。
2024年2月時点のPlayStation推奨は以下の通りです:
- 最低30分のキャプチャ時間(詳細を後述)
- コンソールのターゲットラウドネス:Integrated Loudness -24LUFS(±2LU)
- モバイル(携帯)デバイスのターゲットラウドネス:Integrated Loudness -18 LUFS(±2LU)
- 最大ピーク:-1 dBTP
- 最大ラウドネスレンジ:20 LRA
(注:最新情報はDevNetに掲載されています)
プラットフォーム基準がない場合、あなたのタイトルにとっての適切なターゲットを知るため、調査が必要と思われます。具体的には、多くの参照タイトルを確認してそれらの平均的なラウドネス数値を調査し、あなたのタイトルがそのプラットフォームやゲームジャンルの一般的な期待値を満たすようにします。
ラウドネスの測定
ラウドネス仕様を満たすためには、最初にあなたのゲームオーディオの出力を測定する必要があります。
測定方法はいくつかあります。
Wwiseにもラウドネスメーターがありますが、すべてのプラットフォームにおける実際のマスターアウトプット信号をキャッチすることは、できないかもしれません。マスターサミングが、ミドルウェア出力バスの後に生成される可能性があるためです。
あなたのデバイスの実際の出力を測定することを強くおすすめします。
プレイヤーはハードウェアデバイスに送られたミックスを聞くことになりますが、この最終的な出力を測定することにより、オーディオパイプライン全体の結果を確実にキャプチャすることができます。1つの測定方法として、デバイスのデジタルオーディオ出力をあなたのオーディオインターフェイスの入力に送信します。このルーティングを設定することにより、出力をDAW(デジタルオーディオワークステーション)でモニタリングすることができ、シグナルチェーンにおけるゲインオフセットがないようにします。
マスタリングをPlayStationで行う場合、PS5 SDKの一部として内部的に提供されるSulphaツールセットを利用し、ゲームのマスター出力を記録・測定することができます。SulphaのレコーディングをDAWで使うこともできます。
どちらの方法もラウドネスの分析と、スペクトルと波形の可視化が可能です。
ラウドネスをキャプチャする際の最低時間、ゲームプレイのための配慮
PlayStationの推奨では、さまざまなゲームプレイのシナリオのラウドネス測定を行い、30分以上測定することとしています。
作品のゲームプレイ配分と同じバランスでキャプチャを行い、キャプチャされた内容によってIntegrated Loudness値が偏らないようにします。
例えば、ゲームの探検フェーズだけをキャプチャすると測定値が小さくなり、コンバットフェーズだけをキャプチャすると測定値が非常に大きくなってしまいます。
ゲームプレイのループの長さは、ゲームによって異なります。
ラウドネスについては以下の記事で詳しく説明されています:
- ラウドネスプロセシングのベストプラクティス、第1章: ラウドネス測定(PART 1) | Audiokineticブログ
- ラウドネスプロセシングのベストプラクティス、第1章: ラウドネス測定(PART 2) | Audiokineticブログ
ゲームのマスター作業にMastering Suiteを使う
プロジェクトの初期段階でMastering Suiteの設定を行い、事前に準備をしておくとよいでしょう。開発サイクルの後半において実際に必要な時では、設定にかける時間がそれほどないかもしれないためです。
安全なスタートポイントとしてリミッタで「-1dBFS」または「-2 dBFS」のピークをキャッチできるようにし(注:トゥルーピークリミッタではありません)、EQとCompressorをバイパスし、ゲインはすべて「0」またはデフォルトに設定します。
時折のクリッピングを防止できるこの「安全リミッタ」だけで、あなたのタイトルには充分であると最終的に判断できるかもしれません。
マスタリングにあまり慣れていない場合、よほどMastering Suiteのほかの機能でゲームの各音声出力が明らかに改善される場合を除き、この「安全設定」以外に必要はないことを覚えておいてください。
ゲイン
Mastering Suiteのゲインのセクションを使い、出力ボリュームの調整をスピーカーごとに、またはLink Modeで複数のスピーカーをまとめて行うことができます。
最初に行う手順として、ミックスのマスターゲインを調整してラウドネスターゲットに合わせます。ただしメインミックス(あなたが最も時間をかけたミックス)は、マスタリング調整なしでターゲットに収まるようにすることを強く推奨します。確実にマスター後の最終的な製品と同じレベルやSPL(音圧レベル)でミキシングするためです。
ゲインステージング ー プロセッシングの補正
ゲームのマスタリングをする際、プロセッシングを補正するためにゲイン機能を利用することがあります。例えばEQをブーストしたことによりゲームの音が少し大きくなった場合、ゲインを減らして補正します。
サラウンドやアトモスにおける注意点
注:以下はあくまで助言です。ゲームのオーディオ出力にどのような影響があるのかを完全に理解し、納得した上で採用してください。キャリブレーションされたスタジオで常にA/Bテストを行いながら、確実な情報に基づいて判断してください。
サラウンドやアトモスフォーマットでは、サラウンドのサイドスピーカーやリアスピーカーの方が、同じコンテンツを再生しているフロントスピーカーより音が大きく感じられることがよくあります。生存本能にかかわる音響心理学的な現象の影響です。これを考慮してミックスで補正を行う(各サウンドをコントロールしやすい)か、マスタリング段階で行うことができます。サイドとリアのスピーカーを1.5dBほど下げることがよくあります。こういった対策をとった後にも音が大きすぎる、または小さすぎる場合、これはMastering Suiteで解消できないミックスの問題です。
また上の方から安定した存在感が欲しい場合、シーリングスピーカーを1.5 dbほど大きくすることも1つの方法です。人間のラウドネスの認識とは関係なく、そもそも上方のスピーカーに送られるコンテンツが少ない傾向のためです。ボリュームをわずかに上げることにより、ハイトチャンネルの存在感が増します。
チャンネルをミュートする
非常に特殊なケースでは、ゲインコントロールを使い特定のチャンネルをミュートすることもでき、「NightMode」プリセットでLFEチャンネルをミュートしたい時などに行います。
EQ
トーンのバランスとニュートラルターゲット
マスタリング段階におけるEQの主要目的は、ミックスのトーンバランスをゴールに近づけることです。一般的に最良の変換を最大数のプレイバックシステムにおいて確保できる、ニュートラルなトーンバランスのミックスを目指します。
最終ミックスのイコライジングは、わずかなゲインオフセットのワイドバンドEQシェイプが使われることが多く、上下最大3 dBが一般的です。これ以上のオフセットが必要な場合、よりはやい段階のミックスにおいて対処すべき問題が潜んでいるのかもしれません。
キャリブレーションされていない部屋やヘッドフォンを使用してゲームをミキシングした場合、多少の調整をすることにより作品の音が改善される可能性が高く、よりニュートラルなレスポンスになると考えられます。
使用したヘッドフォンのモデルや、ゲームのミックスを行った部屋のルームレスポンスの確認が参考になるかもしれません。この情報をもとに、キャリブレーションされていない環境の矛盾を逆転させるマスタリングEQカーブを作成することができます。
このような決断は可能な限り、音の質が良く精度の高いキャリブレーションされたスタジオ環境で行うことが重要です。自分の作業に自信がない場合は、信頼のおけるエンジニアを雇い補助してもらう、または助言してもらうとよいでしょう。彼らは自分の専門分野の仕事はできますが、あなたのゲームについてよく知らないからこそ、あなたは彼らの助言を考慮しつつ、自分が「運転席」に座り決断するべきです。
特定の問題ではなく、継続的な問題に注目すること
マスタリング段階における決断内容や処理は、ゲーム内のすべてのアセットに影響を与えるため、注意することが大切です。マスタリング段階で設定した処理は最終的な出力に対し常に有効な状態となり、通常はここにゲームプレイやシネマティックスも含まれるため、ゲーム全体にとって意味のある処理でなければいけません。
大型のタイトルではEQを何十万個ものアセットに適用することになるため、正しい判断であるかをコミットする前に必ず確認してください。
出力デバイスとオーディオオプション
ゲームで提供する各種オプションや音声出力モードのトーンを形づくるために、EQを使うこともできます。
大きな決断をする場合、例えばテレビ用プリセットのハイパスフィルタ周波数を上げる時などは、事前にこのモードにいながら実際にはフルレンジのスピーカーを使うプレイヤーが多いことを考慮してください。こちらの期待通りにユーザがシステムを設定しないことが実はよくあります。
消費者向けハードウェアに対応するために大がかりなプロセッシングを適用する場合、大きなリスクが伴います。
最終的に求められるトーンバランス、中立性、意図的なカラーリングなどを、すべての音声出力モード向けにファイナルミックスとして提供するために、マスタリング段階でEQを使います。逆に未知のハードウェアや環境などを修正する目的でEQを使うことは、まさしく未知であるため避けるべきです。
ニュートラルなターゲットを目指すことにより、ほかのゲームやメディアともなじみ、音の整合性をとることができます。
コンプレッサー
コンプレッサーで低ダイナミックレンジのミックスを実現
コンプレッサー処理の最も明白な使い方は、ミックスを圧縮してダイナミックレンジを減らすことです。中でもマルチバンドコンプレッサーは周波数レンジ全体ではなく、特定の周波数帯域を対象とするため、顕著なポンピングエフェクト(ボリュームの明らかな増減)を回避することができます。このため、より透明に聞こえます。
ほかのマルチバンドプロセッシングと同様、クロスオーバーによる位相シフトに注意すること(A/Bテストで有り・なしの聞き比べ)が大切です。特殊な場合では、作業内容によってかえって悪化することがあります。
コンプレッサーによる気持ちのよい「密接感」
マスタリング段階で控えめにコンプレッサーを使うことにより、ミックスに一貫性がうまれ、統一された共通の音の動作により、さまざまな要素が「接着」されます。
面白い結果が出ることもあり、実験をしながら試行錯誤をするとよいでしょう。ただし、すべてのコンテンツで成功するとは言えず、かえって悪化することもあります。
一般的にゲームはあまりにもダイナミックであるため、マスタリング段階でコンプレッサーで実際に効果を得ることは難しいです。コンプレッサーを有効に使える機会はマスタリング以前のミキシングパイプラインの方が見つけやいのですが、あえて試す場合は時間が充分にある時もおすすめします。
トーンバランスの調整(マルチバンド使用)
各周波数帯の相対ゲインは形や動作がEQと異なり、マスターのトーンバランスを非常に効率的に制御することができます。
サラウンドやアトモスにおける注意点
サラウンド構成の場合、リンク機能を使い圧縮後のミックスの聞き取りやすさを保つことができます。
このような状況では、最も小さい音と最も大きい音の間の動的な切り分けが著しく低下します。
チャンネルリンクをオフにした場合、プレイヤーが複数のスピーカーのある部屋で聞く時、アクション音とほかのスピーカーのアンビエントバックグラウンドが聞き分けられないかもしれません。
リンク機能を使うことにより、あるチャンネルでサウンドがスレッショルドに到達した時、ほかのスピーカーの音も下がります。これにより、ミックスのダイナミックスケーリングがすべてのチャンネルにおいて維持されます。
ポンピング発生の可能性もありますが、聞き取りやすさを維持するために必要となるかもしれません。
リミッタ
クリッピング防止のためにリミッタを使用する
リミッタの主な目的は、状況が非常にビジーで音が大きい時に稀に発生するピークに対処することです。消費者向け出力デバイスのクリッピングを防止します。
Integrated Loudnessを「-24 LUFS」と「-18 LUFS」としたラウドネス基準を採用することにより、出力を保護するためのリミッタの出番はそれほどないはずです。
トランジェントを制御するためにリミッタを使用する
「NightMode」のような一部のケースでは、重い圧縮をかける時に発生するトランジェントに対処するため、リミッタを使うことがあります。
コンプレッサーでゆっくりとしたアタックにし、速くて短いトランジェントにリミッタで対処した方が、コンプレッサーで速いアタックにして、トランジェントが原因のポンピングを増やしてしまうより、音がよいかもしれません。
すべてをまとめる
Mastering Suiteのさまざまなエフェクトが一体となって働き、あなたのゲームの音声出力全体を強化するプロセスとなります。
マスタリングは本来控えめに行うものであること、特定の問題ではなく継続的な課題に対処するために使うこと、そしてゲーム全体のオーディオ、つまりすべてのゲームステート、レベル、カットシーンに影響することを、絶対に忘れないでください。
Mastering Suiteは無償で利用でき、あなたのWwiseプロジェクトに簡単にインストールして使うことができます。
この連載のパート2ではWwiseのマスタリングプリセットを説明し、いつ、どのように使うのかを見てゆきます。
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